――イメージをカタチに(中島工芸)――
index(索引)concept(概念)業務日誌(2003年2月16日.BBSへ書込み)


「情報革命について」

・・・・・・。
少し独善ではないかと、気が引けますが、
投稿させて頂きます。
僕は、外構・造園工事の「一人親方」です。
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近所の、同業者の「展示場付きの店舗」が閉鎖されました。
最後までガンバッテた業者です。
これで、市内及びその周辺での「展示場付きの店舗」は皆無になりました。
いまどき、メーカー直系でもないのに、
展示場を構える事自体、時代遅れなのかも知れません。

お客様への「見積り総額」の
10%が展示場の維持費。
15%が事務員・監督・オペレーターの給料、そして社長(または債権者)への配当金。
15%が営業マンへの歩合給。

残りの60%で下請けにだす。
間にもう一社噛めばもっと少なくなる。
不景気で、固定した下請け先を維持できなくなってるので、
そうした傾向はあります。

仮に、メーカー系列の業者さんにしても、
会計上の「名目」が変わっても、
消費者から末端業者に至るまでの、原価構成はほとんど同じと思います。

〜どうですか?
こうしたシステム=業態、とても不合理に思えませんか?
確かに、販売費・管理費・各種引当金などは必要不可欠なもです。
しかし、それを現実に機能させている「システム」、
組織の仕組みと業務のあり方自体が、
とても時代遅れなような気がするんですけど。

「薄利多売」とか「安さで勝負」というのも、
的はずれです。念の為。
そうした同業者も行き詰まっています。「系列」がそうです。
傍で見ていると、もっともヤバイのが「系列」業者です。

業務で欠けているのは、熱意でも「やる気」でもありません。
まして、資本力や設備の優劣でもありません。
「問いかけ」だと思います。
自己の業務の存在意義・存在理由への、不断の「問いかけ」だと思います。

いかがでしょうか?

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誰もが仕事を探しています。
しかし誰も、仕事そのものを創ることはしません。
誰もが、何とかしなければと思っています。
しかし、誰も何もしようとしません。
いままでの常識とやり方にしがみついて、
死に物狂いで同じことを繰り返すだけです。
そこから抜け出すようなことは決してしません。
これまでのように、「誰か」が何とかしてくれると思い込んでいる。

(自分のことを、他人が何とかしてくれる訳などあり得ない。
自分と他人が入れ替わることなど、精神的にも物理的にもあり得ない。)

しかし、この「誰か」とはいったい誰か?

上司であり、元請であり、メーカーであり、政府であり、
・・・・・・。要するに、自分より「上の者」です。
自分を、社会の中で活かし、
社会の中での自分の居場所と役割を与えてくれる存在。
信仰(又は迷信)のようなものです。
―これが、その「誰か」です。

自分に、居場所と意味を与えてくれる「誰か?」とは、
社会の秩序であり、序列であり、安定です。
いつの間にか常識となり、固定観念になってしまった、
社会のヒエラルキー秩序であり、共通認識でありアイデンティティーです。
政府→メーカー→下請けと「上下関係」を基にした、ピラミッド型産業秩序。
学歴と資格によって規格外の者は自動的に排除される。
個性も人格もおかまいなしです。
それどころか、個人の人格でさえも勝手に決めつけられてしまう。
(まったく恐れいるよ。)

要は表面上、「規格」にさえ合っていればよいのです。
誰も表立っては言いませんが、
誰もが暗黙の了解として無意識の内に受け入れてきた常識です。
かつての日本人の誰もが共有していた、共通の思考パターンです。

なにも、良いとか悪いとか言う問題ではありません。
肝心なことは確かに、そう思い込むことによって、
学校の成績は上がり、良いところへ就職でき、社内では出世できたということです。
〜これが20世紀という時代だったと思うのです。
そして、時代が変わり、常識が通用しなくなった。

誰もが途方に暮れている。「出口」がどこにも見当たらない。
自分自身の思考パターンを変えない限り。
……。

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私自身は、
情報(IT)革命は、技術革命だとは思っていません。
意識革命と思っています。
産業の仕組みを変え、社会のアイデンティーと共有意識(紐帯)を
大きく変革する動きだと理解しています。

こうしたことは歴史上、何度も起こっています。
明治維新前後がそうだったし、終戦直後の日本がそうでした。
かの「サッチャー革命」時代のイギリスがそうでした。
1970年代のアメリカがそうだったと思っています。
近代国家が目指した「成熟した先進国」の後の世界です。
「情報革命」という名の下に、いま目の前で起きている現実です。
いままでの常識、社会的な絆も異質なものになっていくと思います。
もはや、そうなってるというのが実感です。

 三田市 中島工芸。