――イメージをカタチに(中島工芸)――
index(索引)concept(概念)業務日誌(2004年12月29日: 日誌)


 イノベーションと精神文化。


何かが欠けてる。
同じ時間を、同じ場所で生きてるのに、
意識の中は、全く別の世界を生きてる感じだ。
文化が断絶している。

イノベーション(革新・新融合)が必要なのはわかる。
しかし、本当の問題はそれ以前のところにある。
テクニック(やり方)でも、システム(仕組み)でもなく、
それ以前の「自意識」の問題である。

今、切実に求められながら、最も抜け落ちているもの。
――時代の精神と、それを育む文化の問題。
まさに、これがニーズだ。

@  テクニック。

「テクニック」で誤解しているのは、よく出会う。
豪華、地位、メーカー、規模、知名度、資格・・・等など。
要は、とにかく自分を大きく見せようとする。
これは最悪だ。
なにもないので、大きく見せることで錯覚する。
なにもないので、大きく見せる必要が生まれている。
消費者もまたそれを望んでいる。他に判断の基準がないからだ。
そうであるならば、消費者自身もまた「何か」を錯覚している。

では、なにかとは何か?
――「何か」とは、コンセプト(概念)だ。
あるいは存在理由といってもよいだろう。
これは、時代の文化と歴史から生成されたものだ。
しかし理由がなくなれば、どんなに立派に見えても、
実体は、魂の抜けた虚ろな迷信に過ぎない。


A  システム。

テクニックに比べればシステムはまだわかりやすい。
コミュニケーションと行動の裏付けとなる、
機能としての組織体が現実にあるからだ。

このシステムで、社会の秩序と安定のルールが定められ、
人と人との関わり方から思考パターン、行動パターンまで支配されることになる。
システムの中に居続けると、いつのまにか自分が見えなくなる。
それがまた、当り前のように思えてくる。だから、もっと現実が見えなくなる。
そしてシステム(会社)から離れた途端、自分の居場所を見失う。
現実が彼を置き去りにして行く。
だから、システム(業態)は外からも眺めて見る必要がある。
そうして、それまでとは全く別の自分に遭遇することになる。
戸惑い、当惑し、茫然とたちすくむ。
未知との遭遇である。
自分は誰なのか?

現実が変り、時代が変化している。
平成不況を前後して、社会全体が、
価値観・思考・行動パターンまでが、
何か異質な、これまでとは別の動機でうごいている。
何かが違う。
いま必要なのは、そうした動機としての「精神文化」の問題だ。
テクニックでもシステムでもなく、それ以前の文化の問題である。

なにもかも揃っているのに、それらすべてに何かが欠けている。
一番肝心な「何か」が抜け落ちている。
気迫でもやる気でもなく、知識でもない。
それ以前のもっとも肝心な、本質的なものを欠いている。
「魂」を欠いている。
自意識、あるいは存在理由を喪失している。
アイデンティティー(自己同一性)を避けている。


B  共有意識。


すべての「システム」には、その歴史と理由がある。
システムは、その土壌となった文化・風土と切り離しては考えられない。
文化・風土には、種としての人間の記憶がやどっている。
システムは、それが表面に現れたカタチに過ぎない。
「遺伝子」という物理的な記憶ではなくて、
連綿と続く、歴史と文化の中で生きている自己の記憶である。
そうした「記憶」なくして、
どんなテクニックもシステムも有効に機能しない。

テクニックもシステムも着てる服に過ぎない。
問題となってるのは、その中身だ。
求められているのは、それぞれにとっての「存在理由」だ。
アイデンティティー(自己認識)を見失っている。


自分が生まれ育った土地や水、そよぐ風、かすむ光、空気・・・etc。
すべてがまぼろしのようなものです。
こうした、捉え所のない漠然とした現実から「記憶」をたどることになる。
そして、そのもとで祖先が生きてきた文化の記憶をまのあたりにする。
目の前のごく当り前の暮らしの中から。
自己の歴史と文化を知ることになる。
自己の発掘と再生を求めて。




index(索引)concept(概念)業務日誌

三田市 中島工芸。